2013/11/23

祖父が認知症になってどれくらいが経ったのだろう。私の名前を呼んでくれなくなってどれくらいが経ったのだろう。
ひとは生きていれば必ずボケるらしい。ボケがくるのを死んだあとまで引き伸ばすことができれば、ボケない人生を謳歌することができる。でも内臓、筋肉、骨はどんどん弱って、医療費がかさむ。家族の手間が増える。本人もつらい。
祖父母を見ていると長生きしたくないと思う。単純に祖父母が嫌いなんだろうか。もっと仲睦まじい夫婦だったら長生きしたいとか思うんだろうか。祖父が肺炎になって祖母は少しあわてていたが、次の日には自分の髪染めの日程を決めていた。認知症になる前、祖父はお酒ばかり飲んで偏食で面倒なひとではあったが、特にあばれないし家事はしっかりやるひとだった。認知症になって施設に入ってから数年の間で数回しか顔を合わせたくないくらい憎むべきほどでもないように思えるのだが、単純に面倒くさいのが優位にきているようにも思う。それにしても娘2人に祖父のことを任せきりなのはどうなんだ…と傍観者としては思う。言わないけども。
なにが言いたいのかわからなくなってきた…。
家族が皆元気なうちにはなかなか見えてこないエゴが、誰かが病気になると見えてきたりする。病気の人と生きていくのは生易しいものではないし、それは当事者にならないとわかりえない。
将来自分の親が介護が必要な病気になったら…とか考えたくない。考えたくないのというのもまたエゴなのだ。ある程度覚悟しないといけないのだ。でも考えたくないな。