2017/11/29

老い


何かを言われるのがすごく嫌で、だからと言って気にされないのも嫌で、結局のところ無いものねだり、わがままといったところである。

時間やお金を使うのは楽しくて虚しい。悲しいことは立て続けに起こる。悲しみは訪れないとわからないことが沢山ある。


父方の祖父が入院したらしい。
認知症が進み、初孫のことすらわからなくなったが日常生活はできている。そんな祖父が大腿骨を折ってしまって、二次感染までしてしまった、とのことだ。

母方の祖父は、認知症になり、肺炎になり、寝たきりになり、食事を受け付けなくなり
そして死んだ。肺炎になって食事が流動食になって寝たきりになるまでが早かった。
父方の家族はまだ誰も死んでいない。預金を動かしておかないと動かせなくなることを頭ではわかっていてもすぐに動かそうという気にはならないらしく、私の母がやきもきしている。祖母が言ったことが叔父に父に…と伝言ゲームで伝わるから、私の耳に届く頃の情報はぐるんぐるんになっている。
父方の祖父母は福島の家を売り払い、東京の端っこに移住した。福島の家は東京に比べたら放射線量が高いが、一番高いところに比べたら低いらしく、買い手が見つかった。祖父母はいつも運がいい。本当によかった。
今週あたりうまく時間をやりくりして祖父の見舞いに行くつもりだが、もう祖父は私を孫とは認識してくれない。前回会った時は悲しみに耐えられなくて泣きまくってしまった。物知りですっとぼけていて優しいところは何も変わっていないのに、私の記憶がない。
陶芸家である祖父母宅で、幼少期にいらん物をどれだけ作っても全部きちんと焼いてくれて、近くにおいしいラーメン屋があるからと連れて行ってくれると思ったら車で2時間かかったり、家の裏山に登ってカマキリと遊んだり、私の中には沢山の記憶があって、祖父母と共有していたはずなのに。いくつになったの、と何度も尋ねてくる祖父の顔を見ていたらものすごく悲しくなってしまった。人は忘れゆく悲しい生き物なのは重々承知なのだが。

しかし、東京の端っここと拝島に行くのと福島に行くのは体感距離があまり変わらんよな……。